7月に続き、まずはイエス・キリストについてでした。8月はその人柄です。

新約聖書を読んでイエス様とはどのような方か。

・たくましく悪に屈しない人

・強い者(権力者など)に厳しく、弱い者(底辺など)に優しい人

・差別をしない人

・価値観が周りと違う人。判断基準って言うのかな。

・大胆でチャレンジ精神に溢れてる人

まぁそれぞれのイエス像があると思います。どのエピソードで救われたか。でまた変わりますよね。

僕のイエス像は2つあります。8月に司教さんと話しながら見つけました。

1つは子どもに対して優しい人だったことです。

ルカの18章15節です。「子どもを祝福する」というお話。

イエスのもとに乳飲み子を連れてくる人々を弟子たちは叱ります。でもイエスは乳飲み子を呼び寄せて祝福されました。

「妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

僕はこのお話がとても気に入ってます。

僕自身が障害の子どもの学童で働いているので心に刺さりました。

普段、子どもたちと接しているとこの子たちは僕より神様に近い存在だなと思います。とても純粋なんですよ。

大人になると「神の国に入りたければ…」なんて言われても100%信じることは出来ないでしょう。信じ切ることは難しい。

でも幼い子どもは信じることが出来る。もちろん何のことか分からないと思いますが、良いことがあるということだけは分かってると思います。

子どもと接する機会というのは勉強する機会だと思います。大人と話すよりよっぽど得るものがある。

お給料より大事なものをいつも貰ってます。

もう一つは革命家のようなイエスです。

新約聖書を読むと度々出てくるファリサイ派の人々や律法学者たち。これは掟や社会のルール、常識を一番に考えてる人でまた正しく守ってきてる人たちです。

イエスは掟や社会の常識を一番としない。それより大事なものがあるはずだ。その大事なものを忘れた人には厳しい。災いがありますように。とか言ってる。

またイエスは「私は平和をもたらすために来たのでは無い。むしろ分裂させるために来たのだ。」とも言ってます。壁のヒビを治さずに隠して平和だ。平和だ。というなら一回その壁を壊してしまえばどうだ。平和は壊してからだと僕は解釈しています。

僕のイエス像はこんな感じです。これからもっと見つけるかもしれないけど。でもどの人のイエス像も真実だと思います。見てる角度が違うだけで。

カテゴリー: キリスト教

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