2019年6月
6/8土に東京で司教さんに教えてもらいました。
これからも月に一度くらいは行くつもりです。
部屋に入ると聖書が2つと椅子を用意してくださいました。
この記事は僕自身が忘れないために書きます。(ノートは取ったけど)
今日は「福音書」の違いについて。
そもそも「福音書」とは多くの人の口伝えを著者たちが選んで繋ぎ合わせたものだそうです。それぞれにテーマ性がある。そのため矛盾ではなくて見方や選び方の違いということみたいです。
今日朗読されたのはユダの裏切りからイエスの死までです。十二使徒も絡めて勉強しました。
マタイの福音書とルカの福音書を読み比べました。
大まかな流れは同じですが細かい話が違ってました。例えばマタイの福音書にはユダの自殺が記されているのに対し、ルカの福音書には記されていないとか。
「ペトロの否定」について少し書きます。
大まかに言うと、イエスが捕らえられた後に人々がペトロに「あなたも一緒にいましたよね。」と聞いたらペトロが3度否定した。その直後にイエスに予言されてたことを思い出し激しく泣いたというお話です。
マタイのペトロは誓って、呪って、「知らない」と否定しました。
ルカのペトロは「知らない」とだけ言い、3度目は「あなたの言うことは分からない。」と言った。全然違いますよね。
マタイでは誓って知らないと言ってるのに、ルカでは知らないどころか分からないという曖昧な答え方をしています。
こんな感じで同じ話でも細部が違うし、印象もだいぶ変わりますよね。
今日、司教さんと考えたことはこの違いです。
それぞれの福音書のテーマは何か。
マタイによる福音書は世界の恐ろしさ、または人間の弱さなどを表してる。リアルというか。でもそういう冷たい世界の中でもイエスは慈しみを貫いた。
ルカによる福音書は全体を通して温かい世界だと感じました。イエスがどんな人も許して癒しますから。
ユダやペトロやゴルゴタの丘に向かうときイエスに付いてきた女性や一緒に磔にされた強盗やイエスに釘を刺した兵士までも癒してその人のために祈っています。なんか優しいし安心感があります。
まぁ今回はこんなとこでした。
帰り際に聖書を一冊いただきました。
プロテスタントとカトリック共同訳だそうです。

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