書くのが遅れてごめんなさい。

岩屋寺の瞑想体験に参加させていただきました。

時間は20時〜21時ですがその内瞑想は10分間を2回しました。

建物内部はとてもキレイで1階にも2階にもお掃除ロボットのルンバがありました笑

瞑想は2階の御本尊不動明王の目の前でしました。

この瞑想のやり方としては目の前に置かれた「あじかん」の旗を見ながらもしくは目を瞑り想像しながら脳内に入ってくる雑念を受け流すという方法です。

「あじかん」の「あじ」とは大日如来のことでその大日如来を「観」じるそうです。

担当してくれた副住職によれば大日如来とは宇宙そのもの。全てを受け流す。平たく言えばどんなことにも関心を示さない。

つまり完全なる「無」ということでしょうか。

お話しを聞いていてもとても難しかったです。

僕の頭に「宗教は理屈をもって理解することは出来ない。」という言葉が出てきます。まさに観じることが大事なんでしょう。恐らく。

雑念を受け流す。とても難しい。そこで副住職さんはヒントとして「数息観(すうそくかん)」を教えてくださいました。文字の通り瞑想中に自分の呼吸を数えることで他の雑念を受け流すという方法です。

いよいよ電気を消されロウソクの灯りだけが灯る部屋で瞑想が始まります。

ところが僕がした瞑想は教えていただいた方法とは全く違ったものになってしまいました。

「あじかん」を一切見ずに、ひたすらお不動さんの光る目を見ていました。「数息観」もしなかったです。ここのお不動さんは生きていると感じました。不思議なことに暗闇の中で目だけが光ってました。僕はそれに惹きつけられた。

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この写真で分かりますかね?

目に光が宿っているように感じるのですが。

1回目の瞑想が終わり、感想を求められます。

やっぱり難しく雑念や雨音が入りまくります。と答えました。少しの休憩の後2回目が始まります。

再び部屋が暗くなって、僕は聞きました。

「すみませんが、もっとお不動さんの近くで座っていいですか?」って。

そしたら、他の2人も副住職さんもびっくりしました。「あじかん」を見て瞑想してると思ってたので。

それからは僕だけお不動さんの目の前に座って瞑想再開です笑。ずっとお不動さんの目を見てました。とても良い経験になった。

神仏との対話に言葉は必要なく心こそが神仏を理解でき、自分の悩みや感謝をお届けできるのかもなと感じました。

生意気だけどお不動さんと対話してるようなそんな気になれました。

副住職さんの教えはこの後に書かせていただきます。今回の瞑想に通ずるお話しです。

カテゴリー: お遍路

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