2021年5月6日(木)

今日最後のお参り。文殊院まで1km

もう道は載せなくていいね!近いから!

着いた!別格9番霊場 文殊院

着いたのが16時半だったのでベンチで急いで納め札を書いてたら納経所からお坊さんが出てきてお盆の上に冷たいお茶🍵と甘いお菓子をくれました。「ようお参りです。」って。

嬉しかった。4年前も文殊院はお参りしました。

その時にお大師様を本当の意味で好きになれた。

だから僕にとってきっかけをくれたお寺なんだ。

改めて文殊院の説明を簡単に。

この文殊院は四国遍路発祥の地と言われています。

おとぎ話というか昔話。

昔、お大師様がこの地を訪れた時に幼い童子からこの地域の領主様の年貢の取り立てがエグいと聞かされます。この村に悪い人がいるんですよーみたいな。

それでお大師様がその領主様、衛門三郎と言いますけどその屋敷を訪ねます。托鉢をしに行ったんだ。

そしたら衛門三郎はお大師様を無名の汚れた僧侶だと思いきつく追い返します。次の日もまた次の日も現れ、八日目にはついにお大師様の托鉢を地面に叩きつけました。托鉢は八つに割れました。

次の日からお大師様は来なくなります。

衛門三郎には八人の子供がいましたが、お大師様を追い返してから毎年一人ずつ亡くなっていきます。ついに全員亡くなってしまい衛門三郎はあの僧侶がお大師様だったことに気づき激しく後悔をして財産を捨て、土地を捨て、離婚までしてお大師様に謝るために四国を巡ります。

四国遍路の始まりですね。お大師様に会うための旅。

四国を20周しても会えなくて21周目を逆回りで歩いて12番焼山寺で病気になってしまいました。

死期が近づいてきた時にお大師様が衛門三郎に会いに来ます。

衛門三郎は泣いて今までの事を謝って、お大師様は最後に望みはあるか?と聞きます。

衛門三郎は「生まれ変わったら人の役に立ちたい。」と伝えて亡くなります。

お大師様は呪を唱えて「衛門三郎」と書いた石を衛門三郎の手に握らせて埋葬しました。卒塔婆として杖を立てたところその杖が杉に変わったので杖杉庵。

一年後愛媛県のある地域で手をぐーにしたまま開かない赤ちゃんが生まれました。近くのお寺に連れてって願掛けをしてもらったところ手が開き中から石が出てきます。「衛門三郎」と書いてある石。そのお寺が51番石手寺です。

まぁ大まかにこんな話しです。

長いですけどね、四国遍路のルーツなので😅

だから別格9番文殊院の場所が衛門三郎の屋敷だったんですよ。

4年前の僕はお大師様が衛門三郎の八人の子供を死なせたと思ってた。四国遍路を始めてお大師様は好きになってたけどそこだけ嫌だったんです。

だけどこの文殊院に来てその時の納経所のお坊さんが教えてくれました。

「いやお大師様が死なせたんじゃなくてこの地域を守護してる文殊菩薩様のお導きで子供たちは命を落としたんだよ。」

「お大師様もいくら仏のお導きとはいえ可哀想だと憐れんで八つの墓を作って弔ったんだよ。」

文殊院の近くに八つ墓という八つの丘があります。

最初にお大師様に事情を伝えた童子が文殊菩薩の化身ということも教えてもらいました。

ご本尊は文殊菩薩

オン・アラハシャ・ノウ×3

そして今回も新たな発見を納経所のお坊さんに教えていただきました。

結論から言うと衛門三郎は悪いやつじゃなかった!

確かに年貢を取り立てる領主だから憎まれ役だけどこの地域って洪水とか氾濫がひどいんだって。水害が。

そういう非常事態になった時のために多めに年貢を取り立ててたんだって。非常食として。

ちゃんと領主の立場で村人を守るために考えてたんだ。なんか今の政治家が嫌われるのと似てる気がする。

衛門三郎なりに考えてのことだよね。

権力者って本当に可哀想。何しても文句言われるから。


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