2年前の12月に巡礼の最後に訪れたサグラダファミリアの地下礼拝堂について。

「死がもたらすもの」と「自己表現」が最近のテーマなのでガウディのお墓と絡めて書かせていただきます。

思い出しながら書くけど📝

サグラダファミリアを訪れた目的はガウディのお墓参りです🪦

絶対見つけてやると思って。でもマイナーだから入口どころか場所も分からないんですよ。

昼から探して警備員に門前払いされながら夜になってようやく見つけました。

一回サグラダファミリアから出ないといけないだよね。外に地下礼拝堂への入口がある。ファサード同士の間くらいだったかなぁ。

へっへー!ようやく見つけたぜぇ。

キセル乗車みたいに地元の人にくっついて潜入してやった。

自分泣かせてくれた芸術家のお墓は絶対見たい!

みんな、この建物だ。とつげき!

ところでみなさんは「死」をどう捉えてますか?

人の死は残された人に何をもたらしますか?😢

ここ数ヶ月コロナもあってずっと考えてたけどようやくまとまりました。ノートが埋まった!😅

少しでもこの記事で表現出来たらと思うけども…

礼拝堂へ続く階段です。

誰もいないでしょ?

地元の人も少ない中で観光客は皆無だよ。

外はあんなにいたのに。

入るのに結構苦労したもんなぁ😈

「死」について考えてるなんて言うと心配されるよね笑。大丈夫?休んでないの?睡眠取ってる?とか言われるよね。

「死にたい」と「生きたい」は似てると思う。真逆じゃなくて近い心情だと思う🤔

「自分らしく生きたい」と似てる

死ぬ事と生まれる事はこれから先どれだけ医療や科学が進歩しても止める事は不可能でしょう。

ガウディが手がけたのは「生誕のファサード」と「地下礼拝堂」だそうです。

そしてこの2つだけ世界遺産に登録されてる。

ラテン語で「Memento mori」という言葉があります。

日本語に訳すと「死を想う」「死を忘れるな」

この「死を想う」を念頭に置いて生きる。死を想いながら生きることが現時点での答えになっています。

現代社会は快適すぎて、豊かすぎて死を忘れてる気がする。死を隠されてる。

死から目をそらした文明を育てて、死を日常から遠ざけて生きようとしている。

病・老・死は嫌われてるね。でもいつか受け入れなきゃ。

この天井の作品が一番好きだな。聖母戴冠でしょうね。幼子イエスが聖母マリアに冠を授けてる👑

これはいつまでも見てられる。

例えば道で動物の死骸を見たら体がぶるっと震えませんか?

笑いながら歩いていても一瞬途切れますよね。

その瞬間こそが「Memento mori」だと思うんです。

一瞬真面目になる。清く正しくなる瞬間。

地下礼拝堂には聖家族を表現した作品が一際多いように感じました。聖書の中で一番純粋で美しい愛情を感じたかもしれないね。ガウディは。

それとも自分が子どもの時と重ねてたのかな。

ガウディの最後は、サグラダファミリアに出勤する途中で電車に撥ねられます。その時救助されれば良かったんですが晩年のガウディは身なりを気にしていなかったので浮浪者と間違われて誰も気に止めませんでした。それで救助が遅れて死んじゃった🥲

なんか呆気ないね。でも偉人だろうが凡人だろうが人の最後は平等なんだなと思った。

偉業を成し遂げたからふさわしい偉大な死に方を出来るわけでも無いらしい。

ガウディのお墓です🪦

自分が手がけた地下礼拝堂でゆっくり眠れてよかったね。

電車に撥ねられたとき、ガウディは何を想いながら死を待ったんだろう?

走馬灯見た?

生涯独身だったけど何十年も片想いしてる女性を思った?

サグラダファミリア作成のきっかけになった親族や親友の事を思った?

神様に叫んだかもしれない。

それともひたすら仕事のことを。サグラダファミリアのことを惜しんでたのかな。

お墓と対面して真っ先に気になったのはこれでした。

先述のとおりに震えましたよ。なんか波?のようなものが心に来ました。

安易な言葉で表現するならガウディのお墓を見て元気が出た。僕もこうなりたいって思った。

周りから狂人と呼ばれるような表現者になりたい

ガウディは独り身でしたし友人も少なかった。

同じ時期にその数少ない友人と親族の死が重なっちゃったんです。

それからキリスト教カトリックを熱心に信仰して宗教以外の仕事は全て断りサグラダファミリアの建造に励みました。

大切な人の死は人を揺り動かす原動力になる。重ければ重いほど。

大切な人の死は、その死を乗り越える光となる。

世に残る作品というのはその作者の魂が刻まれてるからじゃないかな。

もっと言うなら声にならないうめくような「人間の慟哭」。

そういった経験をされてるかどうか。

聖母子に見守られて幸せそうだったな😊

しってる?イエスより聖母マリアのほうが人気なんだよ。

「無条件であたたかく包み込んでもらいたい」のが万人の本音かもね。

サグラダファミリアを作るに至った原動力もっと知りたい。原動力の内訳?笑

ガウディの絶望感にヒントがあると思うんだけども🤔

親族や友人の死と書きましたが、友人というのはパトロンの役目も担ってました。

だから経済的にも困っちゃった。ガウディ。

長年片想いしてた女性の事も入ってると思う。

聖母マリアが多いのが怪しい😏

愛情に飢えてた部分はあると思う。

親族、友人、信頼関係、経済的困窮、女性との愛情知らず…

我が人生八方塞がりって感じ。

そこから生まれたものが人間の慟哭だろう。

その時のガウディは深い闇の中にいたのかね?

深海とかトンネルの中とか。光が届かないとこ。

ここで少しだけユダヤ人を紹介させてください。

ナチスに捕らえられ強制収容所に連行されたけど最後は解放されたユダヤ人です。

ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」。

収容所での手記を元にした本です。

収容所での内容は周知の事実として省略しますが

人間の尊厳など完全に否定され、役に立たなければガス室に入れられて命を奪われますよね。

これほどの不条理があるかというくらいの出来事ですがフランクルは生還しました。

フランクルによればどんな不条理な目に遭っても闇の底は光の世界に繋がってると信じ続けたユダヤ人たちが存在していたみたいです。

サグラダファミリアを建てるほどの原動力に近い気がする。

今が闇ならこの先も闇が続くと思わないで闇の底を叩いて貫いてみてください。光を掘り起こせるかも。

あと参考になるのはタロットカードのXIII Deathというカード。「13 死」

このカードが持つ意味は「変容」「破壊と再生」「終わりと始まり」

決して悪いカードでは無いです。

死というのは変容するタイミングです。

終われば始まる。始まれば終わる。

蘇生ではなく再生ですよ。信じてたものが破壊されたときに始まるんです。

破壊されてボロボロの状態が良いんですよ😄

その傷だらけを土台にするから環境を変えるほどのモノが出来上がるんですよ。それが再生。 

よし、そろそろ終わりますね。

コロナ禍の事書いておわろ。

収束どころか勢い増すコロナ禍も不条理な出来事に違いありません。

コロナがなかったら…今頃は…と誰もが思うでしょう。

病・老・死をコロナ前より身近に感じるようになりました。

コロナによって社会の脆弱性、人間一人ひとりの哀しいほどの傷つきやすさと脆さが露呈してしまいました。

壁にヒビが入ってるのに直す事もせずペンキで塗って誤魔化すなんて事はもう通用しません。

今こそ「生きる」ことについて考えるときだと思います。

どのように生活すれば自分は「生きている」と言えるのか?

自分はこの仕事で生きていけるのか?

窮地に陥ったときに支え合って生きていくためには?

精神的な充足と肉体的な充足のバランスは取れているか?

なんとなくで生きていける時代はもう終わり、これからは芯がある人、社会が生きていけると考えてます。

東京でお世話になっている司教さんが教えてくれた言葉があります。

「私たちは、日々の営みを徹底的に破壊され、苦しみの淵に陥れられたとしても、創造的な心構えによって乗り越えていくこともできるのです。」

僕自身はこのコロナの時代に生まれてよかった。

東北大震災のとき何も出来なくて歯痒かったので今のコロナ禍では人の役に立ちたいな。

「Memento mori」死を想うことを忘れずに生きてください。

でも残念ながら死を自分の人生に積極的に招き寄せようとする人は絶対僕に話を聞かせてほしい。

無理に止めることはしないからこの世界に別れを告げる前にその理由を聞かせてください。

神様の元に行く前に僕の元に来てくれ笑

「神様にどうぞよろしくお伝えください。くれぐれも忘れずに!」という伝言を頼みたい

ここまで読んでくれて本当にありがとうございました🙇‍♂️

あなた方は辛抱強くて優しい方だ😅

書き忘れてて良かった。

自分にとって一番良いタイミングで書けた。

ガウディのお墓と合わせれて光栄です。


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